祇王寺について

平家物語に登場する
“悲恋の尼寺”
祇王寺。

祇王寺は竹林と楓に囲まれたつつましやかな草庵で、『平家物語』にも登場し、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心変わりにより都を追われるように去り、母と妹とともに出家、入寺した悲恋の尼寺として知られております。
祇王寺は昔の往生院の境内にあり、往生院は法然上人の門弟良鎮によって創建されたと伝わっています。山上山下にわたって広い寺域を占めていた往生院も後年は荒廃し、ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになりました。

草庵に安置された祇王たちの仏像

仏間にある仏壇には、本尊大日如来、祇王、祇女、母刀自、仏御前と平清盛の木像が安置されています。
祇王、祇女の像は鎌倉末期の作で、作者は不詳ですが目が水晶で鎌倉時代の特徴をよく表しています。

祇王 祇女 母刀自 仏御前

季節ごとに彩りを変える吉野窓

草庵の控えの間にある大きな丸窓を吉野窓と言い、境内の緑葉を通って差し込む日差しが障子に色とりどりの色彩を映し出すことから「虹の窓」と称しています。

草庵の中にある吉野窓

今もなお祇王寺にひっそりと佇む
宝篋印塔

祇王寺墓地の入口にある碑には「妓王妓女佛刀自の旧跡 明和八年辛卯正当六百年忌 往生院現住尼 法専建之」とあって、この碑の右側に「性如禅尼承安二(1172)年壬辰八月十五日寂」と刻まれているのは祇王のことと思われます。
祇王寺は明治初年に廃寺となりましたが、残された墓と仏像は旧地頭の大覚寺によって保管されました。大覚寺門跡の楠玉諦師はこれを惜しみ、再建を計画していた時に、元京都府知事北垣国道氏が祇王の話を聞き、明治28(1895)年に嵯峨にあった別荘一棟を寄付されました。これが現在の祇王寺の建物です。これらの関係から祇王寺は真言宗大覚寺派の寺院で、旧嵯峨御所大本山大覚寺の塔頭寺院ともなっています。

墓地入口の碑 宝筐印塔(左:祇王、祇女、母刀自の墓、右:清盛公供養塔)比丘尼智照の墓